少しずつ春の足音が聞こえ始めた2026年2月14日。
八方除(はっぽうよけ)で名高い寒川神社のほど近く、神奈川県寒川町の町民センターにて、「寺イク?」初のリアルイベント「寺活動フォーラム2026」が開催されました。
今回のレポート(第一部基調講演のレポートの続き)では、第二部基調講演の模様をお届けします。テーマは、「なぜ現代人は安らげなくなったのか?」。その理由に迫りました。
会場を埋め尽くした参加者の視線の先にいたのは、異色の4名。日々事件・事故の最前線を追う毎日新聞の黒川記者、渋谷・上宮寺の若き僧侶、藏田史哉・美乃梨夫妻、そして編集長のKENLOCKです。
立場も経歴も異なる4人が、60分間の対話を通じて「安らぐことの難しさ」と、その突破口について語り合いました。

左から、上宮寺 藏田夫妻、寒川町 石井氏、寺イク? KENLOCK、毎日新聞 黒川氏
■ 1. 「安らぎ」を阻む、現代特有のノイズ
議論の口火を切ったのは、黒川記者の実体験からでした。

黒川氏:「これまで記者として様々な取材に行きました。2年前の能登半島地震の際も現地に入り、大切な方を亡くされた方や、家を壊された方に寄り添ってきました。そこで気づいたのは、過酷な状況下でも前を向き始めている方には、『自分の心をととのえる力』があるということです。でも、今の日常はどうでしょう。常にスマホがそばにあり、膨大な情報を受け取り続ける。頭が常に忙しい今の環境は、安らぎを得ることを極めて難しくさせている気がします」
この「情報の過多」がもたらす弊害について、僧侶の立場から藏田史哉氏が続けます。
藏田(史)氏:「スマートフォンの普及で、人と比べる機会が圧倒的に増えてしまいました。会ったこともない人の生活や持ち物を覗き見ることができ、知らない誰かと自分を横に並べて優劣をつけてしまう。本来悩まなくてもいいことで悩んでしまうのが、現代人ならではの苦しみですよね」
さらに、藏田美乃梨氏は「居場所の喪失」という視点を提示しました。
藏田(美)氏:「SNSという顔の見えない世界で他人の生活を覗き込む一方で、ご近所づきあいのような『顔の見える接点』は希薄になっています。近くの人には無関心なのに、遠くの誰かには執着するというアンバランスさ。自分をありのままに受け入れてくれる『居場所』が減ることは、安らげる機会を失うことと同義だと思うのです」
■ 2. 資本主義が煽る「尽きることのない欲望」
ここで議論は、個人の意識を超えた「社会の構造」へと深まります。

黒川氏:「経済的な要因も大きいですよね。日本の平均賃金が上がらない中で『貧すれば鈍する』という言葉通り、お金の余裕のなさが心の余裕を奪っている面は否定できません」
藏田(史)氏:「私はZ世代ですが、生まれた時から経済が上向く空気を感じたことがありません。頑張っても報われないというプレッシャーの中で、家や車を持つことを最初から諦めざるを得ない世代の空気感もあります」
この点に関して、編集長のKENLOCKは、自身の経験から「欲望のブレーキ」について語ります。
KENLOCK:「資本主義という構造自体が、欲望を起点にしないと回らないようになっています。私が普段関わる広告は人の欲望を掻き立てるのが仕事です。でも、欲望は歯止めが利かなくなると怖い。仕事柄、多くの富裕層の方ともお話ししますが、十分恵まれているのに欲が尽きず、幸せそうに見えない方もお見かけします。自分の中に『欲望を一度止めるための倫理観や哲学』、つまり仏教でいう煩悩を知る視点を持っていないと、どこまで行っても安らげないんです」
■ 3. 「寺活」は、もっとテキトーでいい
では、具体的にお寺とどう関わればいいのか。黒川記者から「敷居の高さ」について問いが投げかけられました。

黒川氏: 「お寺をちょっと見せてほしい、とお願いするのは可能なのでしょうか? そもそも、いきなり連絡してもよいものなのですか?」
藏田(史)氏: 「喜んでご案内しますよ。仏教について分からないから教えてほしい、と声をかけていただいても構いません。もし相談してみて、嫌な顔をしてくる住職がいたら、それはよくない住職なので関わりを持たない方がいいです(笑)」
藏田(美)氏: 「実はKENLOCKさんも、最初はお寺のHPから普通にメールをくださったんですよね(笑)。最近は納骨や法要だけでなく、人生相談や『ちょっとお話を聞きに来た』という方も増えています。私たちで力になれることがあれば、今まで面識がなかった方でも気軽にご相談いただきたいですね。寺活」が皆さんにとって、心を少し軽くする、安らぐための1つの選択肢であれば良いなと思っています。私にとって安らぎを得られるものはテレビドラマなのですが、物語の世界に没入すると日頃の悩みや不安を忘れさせてくれます。皆さんにとっての寺活も、同じ感覚で良いと思います。皆さんが様々な悩みを抱える中で、少し気持ちを軽くしたい、安らぎたいと思った時に、その解決策としてお寺や神社が思い浮かんだら、ぜひ気軽に立ち寄ってみてください。」
■ 4. 「分からない」という感覚を大切にする
座談会の終盤、話題は浄土真宗の核心である「他力本願」へと及びました。

藏田(史)氏: 「浄土真宗は、自分自身は状況に左右されてしまう存在だから、すべては阿弥陀如来様に任せましょう、という教えです。でも、その『よく分からない』という感覚こそが大切なんです。問いのないところに答えはありません。人間では到底考えつかないような大きな存在が見守っているという『分からなさ』こそが、信心の本質だと思っています」
藏田(美)氏: 「人間関係も同じですよね。完全にその人のことを分かった気にならない。その余裕が大事なのかもしれません」
黒川氏: 「お寺を訪れた時に感じる、あの独特の神聖な感覚。それは、今お話しされていた『大きな存在に見守られている』という、自分を超えたものに身を任せる感覚に近いのかもしれませんね」
■【エピローグ】日常に「余白」を取り戻す

60分間の座談会を通じて見えてきたのは、「安らぎ」とは何かが手に入ることではなく、過剰な情報や欲望から一度「離れる」こと、そして「すべてを自分でコントロールしようとしない」という潔さでした。正解や効率ばかりが求められる現代において、理屈を超えた「大きなもの」に身をゆだねる時間は、私たちにとって究極の「余白」となります。
「寺イク?」はこれからも、皆さんがふらっと羽を休められるような、ゆるくて深いお寺の楽しみ方を提案し続けます。少し日常の速度に疲れを感じたら、気軽にお近くのお寺を覗いてみてください。
写真・AME(寺イク?)
文・AME(寺イク?)
編集・AME(寺イク?)
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