編集後記

【イベントレポート】サウナの次は「お寺でととのう」? KENLOCK編集長が語る、脳が喜ぶ「やすらギまる」体験とは。「寺活道フォーラム2026 in 寒川」

左から、上宮寺 藏田夫妻、寒川町 石井氏、寺イク? KENLOCK、毎日新聞 黒川氏

少しずつ春の足音が聞こえ始めた2026年2月14日(土)。八方除で名高い寒川神社のお膝元、神奈川県寒川町の町民センターにて、「寺イク?」初となるリアルイベント「寺活道フォーラム2026」が開催されました。

会場には、寺活に関心を寄せる多くの方々が集結し、熱気あふれる中、イベントは二部構成で行われました。

今回のレポートでは、「寺イク?」編集長KENLOCKが登壇し、自身の体験と、そこから導き出された「寺活」のメカニズムについて語った第一部基調講演の模様をお届けします。テーマは「なぜ寺活に行くと元気になるのか?」。その理由に迫りました。


編集長の人生観を変えた、「やすらギまる」体験

今、現代人の癒やしとして「サウナ」や「推し活」が定着していますが、KENLOCK編集長は「次に注目されるのは『寺活』だと考えています」と語ります。その背景には、自身の実体験に基づく確信がありました。

かつて広告業界で多忙を極め、タスクに追われる日々を送っていた編集長。そんな中、数年の間に親族が立て続けに亡くなるという経験をし、「自分の人生、このままでいいのか」と立ち止まることになります。

転機が訪れたのは、亡くなる直前の祖父から勧められた『歎異抄』(浄土真宗の開祖・親鸞の言葉を記した書物)との出会いでした。その後、導かれるように訪れた京都・西本願寺で、不思議な体験をします。

堂内に響き渡る読経の音に包まれた瞬間、それまで感じたことのない、深い「やすらぎ」が身体中を駆け巡ったのです。

それは、「自分でなんとかしなければ」と必死に握りしめていた「自力」のハンドルを手放し、自分を超えた大きな力に心身をゆだねる「他力モード」の感覚を受け入れられた瞬間でした。この心の重荷が降りたような体験が、「寺イク?」立ち上げの原点となっています。


解明。お寺は脳をリセットする「装置」だった

編集長が西本願寺で感じたこの「やすらぎ」。実は、単なる感覚の話だけではなく、脳科学的にも説明がつくメカニズムがあることが分かってきました。それは、サウナで「ととのう」プロセスとも似ているといいます。

編集長は、そのメカニズムを「遮断」「没頭」「ゆだねる」という3つのステップで解説しました。

  • 【ステップ1:遮断】日常のノイズから離れる

    1. まず、お寺という非日常的な静かな空間に身を置くこと。これだけで、私たちの脳は物理的に日常のストレスや情報過多な環境から切り離され、「遮断」されます。

  • 【ステップ2:没頭】音と響きに集中する

    1. そして、僧侶が唱える一定のリズムのお経や、木魚の響き。これらに意識を向けることで、脳は自然と一つのことに深く「没頭」していきます。これは、いわばマインドフルネスの状態です。

  • 【ステップ3:ゆだねる】感謝と安心感に包まれる

    1. 「遮断」と「没頭」を経て、脳の疲労がリセットされた先に訪れるのが、この第3のステップです。自分を超えた大きな存在や、悠久の時間の中に身を「ゆだねる」感覚。そこに、深い安心感と、「今ここに生かされている」ことへの感謝が湧き上がる境地があります。

この3つのプロセスを経てたどり着くのが、編集長が提唱する「やすらギまる」体験なのです。

お寺は、現代人の疲れた脳をメンテナンスするための、先人たちが残してくれた「リフレッシュツール」のような役割を果たしてくれるのかもしれません。


「寺活」は、現代人の新しいセルフケア

講演の終盤、編集長は会場にこう呼びかけました。

「お寺に行くとき、難しい作法は必要ありません。『自分より何か大きな存在にゆだねてみる』と少しだけ仮定して、一礼し、手を合わせてみる。ただそれだけでいいんです」

続いて、読経、写経や座禅、ただ静かに庭を眺めるといった行為は、日常から離れて自分自身と向き合うための時間であり、「寺活」は現代人が心をととのえるための新しい「セルフケア」の形になり得るとの考えが示されました。

最後に、まずは気軽に近くのお寺を訪れてみること、そしてそこで心地よさを感じることが「やすらギまる」体験の入り口になると語られ、第一部の講演は締めくくられました。

(第二部座談会のレポートへ続く)

写真・AME(寺イク?)

文・AME(寺イク?)

編集・AME(寺イク?)

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