2026年5月3日、東京都渋谷区広尾・上宮寺。大正2年の創建以来、関東大震災や東京大空襲の戦火を奇跡的に免れ、当時のままの姿を残す木造建築の本堂を舞台に、「そもそもお寺って何のための場所?〜忙しすぎる現代人に向けて〜」というテーマを掲げた対談イベントが開催されました。

藏田史哉さん(以下、史哉さん):「今日のテーマは『そもそもお寺って何のための場所?』です。何十年、何百年と残ってきた場所なのに、実はお寺側の人間も、その価値をあやふやにしてしまっているんじゃないかという危機感がありまして」
穏やかで静寂に包まれた本堂で、史哉さんの問いかけから対談は幕を開けました。
登壇したのは、司会を務める上宮寺の藏田史哉さん・美乃梨さん夫妻。ゲストには、浄土真宗の教えを学ぶ専門学校「行信教校(ぎょうしんきょうこう)」の校長であり、西光寺住職も務める天岸淨圓(あまぎし・じょうえん)師、そして一般人代表として、『寺イク?』編集長のKENLOCKです。
僧侶と一般人。それぞれの視点から「お寺の真価」を考える、対話が始まりました。
■ サウナ以上の「やすらぎ」と、人生を変えた「化け物」

まずは、ゲスト二人が「お寺に足を踏み入れたきっかけ」という話題へ。現代のストレス社会のど真ん中にいたKENLOCKが、自身の原体験を語ります。
KENLOCK:「僕は元々、仏教となんの縁もゆかりもなく、広告会社で少しブラックな働き方をしながら、ストレス解消で週8回サウナに行くような人間だったんです(笑)。お寺に興味を持ったのは、がんで亡くなった祖父の死に際が美しく感じられたきっかけでした。お見舞いに行くと痛々しい姿なのに、目がキラキラしてめちゃくちゃポジティブなんですよ。不思議に思っていたら、亡くなる直前に祖父から『歎異抄(たんにしょう)』という本を勧められて。読んでみて不思議と腑に落ちたんです。祖父の心の「やすらぎ」の根底には、お寺との繋がりがあったんだなと。死という抗えない運命に対しても、何か大きな働きを信頼して、身をゆだねる心境になっていたからこそ、あんなに穏やかだったんではないか。そんなことを考えて自分も一度お寺に行ってみたいと思ったんです」
その後、京都の西本願寺で、朝の読経を聴いた際、自身の悩みや焦りが透明になっていく感覚を味わい、「あれ、これサウナより、やすらぐかもしれない」とお寺の魅力にのめり込んでいったといいます。一方、天岸師の口からは、意外なルーツが飛び出しました。
天岸師:「私の実家は、実はお寺じゃなくて喫茶店なんです。中学生の頃には関西の仏像を網羅するほどのマニアでしたが、当時の私からすると、阿弥陀さま以外、仏像を置かない浄土真宗は『どこへ行っても同じで面白くない』と敬遠する対象でして(笑)」
史哉さん:「えっ、そこからなぜ浄土真宗の僧侶に?」
天岸師:「高校生の頃、私の先生になる梯實圓(かけはし・じつえん)という“化け物”のような僧侶に出会ってしまったんです。彼に魅入られたことが人生の変わり目になり、こうなってしまったというわけです」
■ あなたにとって「お寺」とは何のための場所?

美乃梨さん:「みなさんにお聞きしたいのですが、お寺とは何のための場所だと思いますか?」
史哉さん:「日常の『何のため』を相対化し、立ち止まれる場所でしょうか。僕は、『何のため』っていう問い自体を相対化できる場所かなって思います。普段の生活は、どうしても効率とか『何の意味があるか、価値があるか』に一番左右されています。でもお寺は、その考え方自体が実は正しくないかもしれない、それに囚われていた自分がいるかもしれないなっていうことを、ゆっくり考えていい場所。意味や価値を超えた価値観を許してくれる場所なんです。お寺に縁のない人に『何が良いの?』と聞かれたら、僕は『1回立ち止まることが許される場所』だと説明するんです」
KENLOCK:「現代って、全て自分の成果や努力で評価されやすい世の中ですよね。でも本来、地球や宇宙といった大きな働きの中で、たまたま僕らは生かされているに過ぎない。なのに、なんで全部自分で責任を取って評価されなきゃいけないんだろう? お寺は、そうした『自己責任』の重圧を手放し、大きな働きに生かされている『ただここにある奇跡』を感じて、やすらげる場所だと思っています」
天岸師:「お寺は、中心が変わる場所です。自分中心のものの考え方から、仏様を主にして存在している『異空間』みたいなものです。私の前に仏様がいらっしゃるというのではなく、仏様の前にいさせてもらっているっていう。主人公が逆転している場所ですね。そういうことを表現できるのが、寺というものの造りかなと思います。まあいろんなことを思って、お参りして、何を感じてもらってもいいと思います。あまり宗派ということに限定せず、全く違うことを考えても、それなりに許されるような。垣根が取っ払われてるというか、自分自身のあり方がもう一度スタートというか、フリーになれるっていう。そんなところであってほしいなって思ってるんですよね」
自分で自分を縛っていた垣根を取り払う。自ら意思決定をした結果でなく、お寺に来たこと自体を運命の導きのように捉え、意思決定自体の主役を「仏様」と呼んでいる大きな働きによるものに譲って捉えてみる。成果ばかりを求められる現代だからこそ、自分でがんばることを手放し、大きな働きに身をゆだねてフリーになる。その心地よさの正体が、言語化された瞬間でした。
■ 【ゴールで切らない】ふもとの「登り口」を包み込む優しさ

しかし、そんな「やすらぎ」を提供するはずのお寺側も、伝え方には大きな課題を抱えているといいます。天岸師は、教育者(行信教校 校長)として、また僧侶としての強い自省を込めて「富士山」の比喩を投げかけます。
天岸師:「親鸞聖人の教えっていうのは、富士山のてっぺんみたいなものなんです。正直言ってレベルが高くて、なかなか受け入れられない。ただ、皆さんがいるのは山の『登り口(スタートライン)』ですよね。その登り口をきちっと共有していただけないと、あの方がおっしゃってる良さや凄さは、伝わりにくいと思うんです」
史哉さん:「いきなりてっぺんの教え(ゴール)を押し付けて、ふもとにいる人を置いてきぼりにしてしまう危うさですね」

天岸師:「そう。せっかくお寺に来てくれたのに、『浄土真宗はそういうことしないんです』とペッと切ってしまう。お寺側が、本来ある広がりを狭めてしまっている過ちに陥りやすいんです」
美乃梨さん:「すごくわかるかなと思ったんですけれども、今築地本願寺でも少しお手伝いをさせていただいてるんですが、一番多い質問は『御朱印はありますか?』なんですね。残念ながらないのですが、せっかく本堂に来てくださったその一歩こそが大きなご縁です。スタートラインは全員違いますから、最初は教えが分からずに足を踏み入れた方であっても、誰一人こぼしたくない。拒むことなく、『そのままでいいんだよ』と声をかけられる存在でありたいですね」
■ お寺のカタチは十人十色。会場から溢れる熱い「お寺愛」

終盤のフリートークでは、会場の参加者からもバラエティ豊かな「お寺愛」も飛び交いました。
- 「四国遍路を7周しました。境内に入るとひしひしと異空間を感じて、ストレスフルな仕事も忘れられる。心の浄化装置です」と語る公認会計士の男性。
- 夫を亡くした喪失感の中でお寺を訪れたという女性は、「話が分からなくても、ただ聞いてたらいいんだよ、と言われて救われました」と、そのままの自分を受け入れてくれた安心感を振り返っていました。
- さらに、「昔はセミ捕りの場でしたが、今は芝居の舞台です!」と笑うのは、憧れのお坊さんを追いかけて、お寺に出会った俳優の男性。現在はお寺で一人芝居を通して仏教を楽しんでいるといいます。
集まった人々の数だけあるお寺の包容力を感じられる時間でした。
■ どんなあなたでも、そのままに。お寺が教えてくれたこと
最後に、登壇者から振り返りのメッセージで対談が締めくくられました。
史哉さん:「自分が勝手に作っていた垣根なんて、仏様の前では何の問題でもなかった。その、大きなものに包まれていく感覚をこれからも大切にしたいですね」
KENLOCK:「サウナの延長でお寺に通う自分の感覚が、お坊さんたちにどう思われるか実は不安だったんです。でも、この場で『そのままでいいんだよ』と温かく答え合わせをしてもらった気がします」
天岸師:「あまり先入観を持たずに、どんな方でも好きなように参ってくださったらいいと思います。本堂で仏様と対面して、何かを感じ取ってもらえることが大事なのですから。お寺というものは本来、誰にでも開かれている場所だと感じています」

日常の忙しさや評価に疲れるとき、自分で自分を追い込んでしまいそうなとき。いつでも主役を交代して、大いなるものに身をゆだていい。
そんなお寺本来のぬくもりを五感で再確認させてくれるような、あたたかいひとときでした。
【INFORMATION】
■ 特別協賛:株式会社銀座鈴屋
本イベントには、1951年創業の甘納豆専門店「銀座鈴屋」が特別協賛しています。当日、参加者へ「甘納糖」を贈呈。お寺での心静かな対話の余韻に浸りながら、職人が丹精込めて作り上げた上品な甘みを味わう。そんな「寺院文化×和菓子」がもたらす、ほっと心安らぐ癒やしの機会も提供されました。


- 公式サイト: 銀座鈴屋 公式オンラインショップ
写真/noi(フォトグラファー)
文・編集/ABE・KENLOCK(寺イク?)