スマホを開けばショート動画が次々と流れ、最適化された情報を受動的に浴び続ける現代。「いかに退屈な時間をなくすか」に追われる私たちは、知らず知らずのうちに、自ら想像し、心で感じる力をすり減らしているのかもしれません。
すべてを与えられることに慣れた私たちに、あえて「余白」を突きつけ、受け手の感性を問うてくるもの。それこそが、日本の伝統芸能である「能」や、お寺での「坐禅」といった文化です。
初夏の日差しが眩しい、京急線の金沢文庫駅。レポーターの優里(ゆうり)さんが、向かったのは鎌倉時代の面影を色濃く残す古刹「称名寺」です。
朱塗りの堂々たる仁王門前で待っていてくださったのは、今回の案内人であり、横浜市金沢区で毎回1,200人以上を動員する一大イベント「称名寺薪能」の実行委員会副委員長を務める阪本さんです。



「ようこそ!」と明るい笑顔で出迎えられ、まずは境内を案内していただきました。一歩足を踏み入れると、そこには美しい阿字ヶ池を中心とした広大な「浄土庭園」が広がっています。「薪能の日は、こちらに一夜限りの能舞台を設営します」と語る阪本さんの言葉に、かがり火に照らされる幽玄の世界が目に浮かびます。










隣接する神奈川県立金沢文庫も少し覗かせていただき、歴史の息吹を肌でたっぷりと感じた後、私たちは境内の外れにある静かなベンチに腰を下ろしました。木漏れ日と風が心地よい、最高のインタビュー会場です。
ご自身も10代の頃からディープな「寺活」を実践されている阪本さんの口から飛び出したのは、普段、私たちが忘れかけている「感性」を揺り動かすような気づきを感じられる言葉の数々でした。
■ 青春18きっぷで宿坊へ。10代から始まったディープな「寺活」
──先ほど浄土様式の庭園を案内していただきましたが、心が洗われるような空間でした!阪本さんは、能に関わる前からお寺がお好きだったそうですね。

阪本さん: 10代の頃から、お寺や仏像がとにかく好きでした。当時は携帯も無い時代でガイドブックも持たず、青春18きっぷと日本地図とリュック一つで全国を一人旅していました。東京駅に一日一本だけ来る各駅停車の大垣行きや上野から快速ラビット号で、北も西も行先は、その日の気分で北海道から四国に京都、奈良ほかあちこち。
──宿泊はどうされていたんですか?
阪本さん: 安くて精進料理も出るお寺の「宿坊」や民宿です。ビジネスホテルに泊まるより、お寺に泊まる方がワクワクしませんか? ふすまを開けると仏像がドーンとあるような部屋に泊めさせてもらって、「頭こっち(仏像の方)かな、足かな」なんて悩みながら寝ていました(笑)。今でも自然が作り出す美ももちろん好きですが、人の思いが息づく歴史ある建造物に魅力を感じて、「誰がどんな気持ちで作ったのか」「どんな人が見ていたんだろう」と思いを馳せています。
■何一つわからず終わった体験から始まった能の深い沼
──称名寺薪能には、どのようなきっかけで関わるようになったのでしょうか?
阪本さん: 息子が小学生の時、市の広報誌で薪能の「火入れ役」募集記事があり、応募したのがきっかけです。まだ、息子が一年生でしたので、私も一緒に松明を持ち参加しました。その後、地域に伝わる伝統文化を継承する活動に興味を持ち、子どもたちが金沢区で能のお稽古を始め、自然と私自身も運営のボランティアとして関わるようになり、いつしか20年以上が過ぎていました。
──能を初めてご覧になった時の印象は覚えていますか?

阪本さん: ミュージカルもクラシックバレエも大好きですが、能を初めて観た時はまず荘厳な雰囲気に圧倒され、内容はというと何一つわからずに終わってしまったことを覚えています。回数を重ねるうちに、その一見すると退屈とも取れる時間が、逆にものすごく面白くて。
──退屈さが面白い、とはどういうことでしょうか?
阪本さん: まず一言でいうと非日常、時間の流れが日常と全く違うと感じました。他の演劇と違い、物語のほんの一場面をひとつの演目としてゆっくりゆっくり話が進んで行くのがとにかく面白いなと。動きが究極シンプルでお花を生ける場面のある演目で途中寝てしまいましたが、目が覚めた時にまだこれから生けるところで不思議な感覚を覚えたことがありました。10代の終わり頃ですから、そんな全てが面白いと感じ、すっかりはまりました。
──退屈をさせないように計算されている現代のエンタメとは真逆ですね。
阪本さん: そうかもしれません。能は受け身で見るよりも能動的に鑑賞すると楽しめます。例えば装束や能面を美術品のように眺め楽しむ、お囃子の音色や謡の声を音楽として聴く、全体を一枚の絵として観る・・・色々な楽しみ方があると思います。私は演目のあらすじと詞章を読んでから見ることが多いですが、調べておくと一段と深い世界に浸ることが出来ます。

うまく言えないですが、すべてを説明しない抽象的な世界だからこそ、解釈の余地が大きく、演じ手はもちろん観る側の「感性」や「人間性」がそのまま映し出される。まるで鏡のようなところがあるのかもしれません。受け手でありながら、自らの感性で作品を完成させる作り手でもあるような、他にない体験ができる芸能だと思います。
■ 効率化の時代にこそ試される「退屈な時間」と人間の情緒
──そうした「自ら余白を埋める感性」は、現代人には少し難しくなっている気もします。
阪本さん: 現代社会は頭を空っぽにして、自分と向き合う時間が持ちにくいですよね。この時代だからこそ、無になって能を鑑賞する時間やお寺で過ごす静かな時間は自身の心身の健康を保つために大切です。人を思いやる心や美しいものを美しいと深く感じ取れる感性や情緒を育てるためにも、一見退屈で無駄に思える、頭を空っぽにする時間は必要不可欠なのではないでしょうか。

──阪本さんご自身の子育てでも、そういった時間を意識されていたんですか?
阪本さん:ええ。子育て中は「退屈な時間を用意すること」に気を付けていました。息子が「お座り」の時期に、流れていたテレビをあまりに集中して見ていたのを見てハッとしました。それから自宅では出来るだけテレビを消し、音の鳴るおもちゃよりアナログなおもちゃやシンプルな道具を用意して自分で考えられるようにしました。そうなると驚く程次々と工夫して自ら遊びを創り出すようになっていきました。脳細胞が分裂しているのかな、と感じましたね。退屈な時間を用意することで子どもたちの脳に成長してもらった、という感じです。ぼーっとする時間は何も生まないようでいて何かを生む時間でもあるのではないでしょうか。
■ 社会の役割から自分を解き放つ、究極の「デトックス」
──お寺での坐禅も、まさにその「余白」を自分の中に作る時間ですよね。阪本さんは普段、どのようにお寺で過ごされているんですか?
阪本さん:ストレスが溜まった時にはさっと思い立ち写経に行くことが多いです。他には建長寺の金曜座禅会で心を静め、般若心経を音楽のように聴きデトックスします。特に好きなのは大雨の日で、滴り落ちる雨の音を聞きながら池に落ちる雫を眺め、庭園で時間を忘れてぼんやりと過ごします。緑が雨に濡れて一段と綺麗ですし、人が全くいない事もあり貸し切りのようでとても贅沢な時間ですから、あまり人に教えたくはありません(笑)。お気に入りの杉本寺では護摩焚きや、苔の緑も美しくてこころが和みます。覚園寺ではお気に入りの鞘阿弥陀様に会いに行きいつまでも眺めたりもします。ほとんどいつも1人です。誰にも遠慮なくずっといられるので。

──とても素敵な「余白」時間ですね。現代は、精神的に疲れている本当に増えていると感じています。会社員、親、夫、妻……私たちはいつも社会の中の「誰か」として、効率よく生きることを求められています。そこからポンと抜け出して、「自分という存在を解き放てる場所」をあえて作ることが、心の健康には必要不可欠だと感じています。阪本さんのお話で、お寺の伝統に触れたり、能を観たり。一見退屈に思える静かな空間で、自らの感性と向き合う時間を持ってみたいと思う人も多いと思います。本日は貴重なお話、本当にありがとうございました。
インタビューを終える頃には、すっかり心が和んだせいか、境内は穏やかな空気に包まれているように感じられました。

最後に、多忙な日々の中で伝統芸能の運営を牽引する阪本さんへ、寺活を公式応援してくれている老舗甘納豆店「銀座鈴屋」の涼菓「葛よせ」をお渡ししました。
「わあ、嬉しい!お茶の時間にゆっくりいただきますね」

満面の笑みで受け取ってくださった阪本さんに見送られ、私たちは称名寺を後にしました。私たちが伝統に触れるとき、自然に普段の騒がしい思考をオフにして、ただただ目の前の美しい庭園や能の所作に没入します。一見退屈に見えるその時間は、決して無駄なものではありません。自らの感性を研ぎ澄まし、人間らしさを取り戻すための、極上の寄り道なのです。
【INFORMATION】
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第30回 称名寺薪能 令和9年5月3日開催予定
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鎌倉時代の面影を残す浄土庭園「称名寺」の境内に仮設舞台を設け、かがり火の中で幽玄の世界が繰り広げられる一大イベント。市民ボランティアによる心のこもったおもてなしも魅力の一つです。
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称名寺薪能演者のシテ方金春流櫻間右陣師による「Otonami(おとなみ)」では、能楽に触れていただける体験講座をご用意。インバウンド向けのWabunkaも好評。オプションとして能装束をつけた舞は迫力満点の体験。口伝で継承されている無形文化遺産の芸を気軽に体感できる貴重な機会を提供しています。
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- 記事内で阪本さんにお渡しした「葛よせ」など、四季折々の和菓子を展開する老舗甘納豆専門店です。
淡くもみずみずしい葛の中に浮かぶ餡。見た目にも爽やかな定番涼菓です。ひんやりもちもちとした葛の食感が際立たせる餡の風味と、なめらかな喉ごしを併せてお楽しみいただけます。
- 記事内で阪本さんにお渡しした「葛よせ」など、四季折々の和菓子を展開する老舗甘納豆専門店です。
